和歌山県にヌーディスト村を作ろうとした騒動
かつてあった「ヌーディストの伝言板」において、
三省堂発行の「コンサイズ・外来語辞典」(第四版)のP662の
「ヌーディストキャンプ」には、「日本にも昭和42年、和歌山県・白浜海岸に
初めて開かれたが、やぼな取り締まりで話題になった」と記載されている。
という情報がありました。残念ながら当時(1997年)は詳しい情報が集まりませんでした。 にゃんごろりさん(当時のresochaさん)との討論の中で私が
「私がこの世界に生まれ落ちた昭和42年までに何の法律が変わったと言うのだ。」
と言及したのはこの時の情報を元にしています。
その後、昔の週刊誌を調べましたら、1971(昭和46)年7月22日号の『週刊大衆』の122ページから5ページに渡って騒動の様子が取り上げられているのを見つけました。その記事によると、場所は和歌山県白浜温泉の『藤島』という小島(私有地)で、
「日本で初めてのヌーディスト村ができるかどうかの瀬戸際である。」
とありました。他にも1972(昭和47)年11月4日号の『週刊新潮』の17ページ(「タウン」というコーナー)に
「昨年八月、南紀白浜温泉、藤島にオープンしたが…」
という記事がありますので、ヌーディスト村騒動があったのは昭和46年というのが正しいようです。もっとも、『週刊新潮』には、1974(昭和49)年9月12日号の15ページでも同じコーナーに記事があり、
「二年前、南紀・白浜にニギニギしくオープンした…」
とあります。
「昨年、今年と、わがヌーディストは鳴かず飛ばず。」
とあり、多分思い出しながら書いた記事だと思うので、騒動の最初は三年前の間違いだと思います。
で、週刊大衆の記事についてもう少し詳しく紹介しますが、このヌーディスト村開設の母体となったのが「日本サウナ党」という団体で、この党の常任幹事をしている人が事務局長になって「『自然人村』実行委員会」という組織を作ったそうです。この日本サウナ党は、当時、総裁が川崎秀二代議士で、党員が1万4千人(!)とのことで、私は最初、党員の数に驚いてしまいました。この党名でYAHOO!Japanで検索したところ、現在は社団法人日本サウナ協会という名前で存続していました。このページから察するに、党員がそのままNudistという訳ではないようです。現在の協会のHPにはこの和歌山のことどころかヌーディズムに関することが一切掲載されていません。
ヌーディスト村の現地での推進派の筆頭は白浜町の町長兼白浜観光協会会長(どちらも記事当時の肩書)の渡辺鉦三氏です。記事でかなり長い行数を割いて渡辺氏の発言が紹介されています。それから白浜温泉協同組合専務理事の山際茂氏、白浜町観光課長の原定孝氏らの意見も紹介されています。
それに対して反対派は白浜町教育長の南領三氏、そして白浜青少年補導センターの坂本峯一氏、白浜町婦人会会長の金田スミ氏。
カンカンガクガクの論争は東京に飛び火したとのことで、知識人の間で賛否両論の意見が交わされました。日本サウナ党内部でも意見が分れ、例えば常任理事の木元教子氏は「男性だけが楽しみにしてるんじゃないの」という声を寄せています。私が興味を引いたのは、女優の木の実ナナさんが「勇気を認めたい」との賛成意見を寄せていたことでした。御本人がヌーディスト願望があったかどうかはわかりませんが、理解はされているようです。
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